明日、死のうって、生きてる。
わたしはさ、いつも本当は1人じゃなくて
でも、ひとりきりでいるように感じてしまう時があって。
もうこんな苦しいことやめよう、いっそ終わりにしてしまおうと思ったり、行動してしまう。
誰だってそういうこと、あるんだきっと。
だから、死ぬくらいなら今日を生きよう、明日も今以上に苦しかったらすべて捨てて、わたしの苦しみに気付けなかった世間や周り、ざまぁみろ。
って、明日死のうって生きてる。
まぁ、そうすると大概は小さなことが、本当に小さなことが、たとえば銀杏の葉が色付いたことに気づいたり、ダーツが一本でもブルに入ったり、山手線の色が違ったり。
そんなことが、ああ、今日はよかったかもしれない生きてて、って。
その後落ち込んでも、死のうって考えてしまっても、また明日。
そうやって生きてきた明日は、今日だし明日明後日、来月、一年後につながっていくかもしれない。
わたしや君が望んでる未来も望んでない未来や、憧れのあのひとと話ができるかもしれない未来もずっと、先かもしれないけど、それは全部明日になるんだって。
だから、苦しくていいよ、死のうって考えてもいいって。だから明日を待つことにしよう。
そしたら全部過去になんだから、今日を生きたら、きっとなんかいいことある。
すべては時間の問題と時期だ。
人は死ぬ時は死ぬんだ。
今は、一緒に生きてみない?